米子で信頼の占い&カウンセリング
鳥取県米子市で占い、カウンセリングなどをしています「占い&カウンセリング ゲッターラボ」の藤原つとむです。
このページを見てくれている方の多くは何かしらのお悩みがあると思います。
もちろん僕にもありました。
ここには書きれないほど波乱万丈な人生を歩んできた僕は、最初はスピリチュアルな響きがある占いを信じているわけでもありませんでした。
どうすれば自分の人生を好転させられるのか...自己啓発セミナーや成功者になるための本など手当たり次第手をつけたこともあります。
ただ自分の思いとは裏腹に、人生がむしろ悪い方向へと進んでしまったのです。
そこで感じたのは、特別な存在でなくても、平凡な人生の中にも「幸せ」は隠れているということです。
そう思えるようになった僕は本当に人生を変えることができました。
特別な才能や環境、ドラマチックなストーリー...そんなものを持たない普通の人の人生を「幸せ」で楽しいものに変えるのが僕の理念です。
そうして自分らしい生き方を見つけられるようにサポートしていけたらと思います。
プロフィール
【人生を変えたい人の力になります】占い師&カウンセラー|18年目|鳥取県・米子市|実績は3500名以上|お客様は日本全国・海外にも|人間関係、恋愛、夫婦、仕事、人生に悩む人に言葉を|特別でなくても人生は変えられる|
自分自身なかなか壮絶な半生を送ってきて、悩んで苦しんできました。
生まれの不幸、貧乏、親との夜逃げ、破産・・・大概の事は経験して、成功者になろうと努力して心を病んでしまったりもしました。
苦しくてスピリチュアルや幸せ論も習いましたし占いや霊能者にも頼りました。
そんな中で気がついたのが「自分らしい生きかた」
自分の本質を知ることができ、「それで良いんだ」と思えるようになり人生は変わって行きました。
僕は僕の体験したことや理解した事しか話せませんが、多くの人よりはいろいろなものを見てきたつもりです。
そして僕自身は凄くもないただの普通です。だからこそ、普通の人生の中での悩んで苦しんでいる人に共感して寄り添えると思っています。
人生を変えたいと思ったら相談してみてください。
もっと詳しく知りたい方へ
2006年に「占い&カウンセリング ゲッターラボ」ってかたちで「占い(コイン占い)」「カウンセリング」「パーソナル心理学」「ヒーリング」「ひまし油温湿布」などを仕事にして、
今まで多くの人の相談に乗ってその解決のための手助けをさせてもらってきています。
僕自身、「占い」「カンセリング」「セミナー」「コーチング」「コンサル」「講座」「本」「自己啓発」などなど、いろいろと経験してそこでも多くに気づきがありましたが、同時に常に違和感も感じ続けていました。
それは、それらの人は何か「特別な人」に感じられていたからです。
特別な生まれ、過去、環境、能力・・・「ドラマチックなストーリー」。
それらがあるからできている「特別な存在」。
僕にある「特別」は、普通の人よりも少し不幸な生い立ちだけで、そこから這い上がろうと努力したわけでも、それを恨んで落ちていったわけでもなく、「普通」だったのです。
そんな「ドラマチックなストーリー」を持たない僕にはそうはなれないのでは?
でも僕は変われました。自分のやりたい事、好きなことを仕事にして自分らしい生き方をしています。
かなりぬる~く生きてはいますが「幸せ」と言えます。
だから、特別な人が変われるのは他に幾らでもありますが、
特別な才能、過去、生まれ、環境、全てを投げ打っての努力、ドラマチックなストーリー・・・そんなものを持たない普通の人の人生を「幸せ」で楽しい方に変えるのが僕の理念です。
そんな「特別」がなくても「人生は楽しめるんだ」って証明したいのです。
ここからは、僕の過去です。気になる人だけが読んでももらえたら良いですよ。
それ以前はと言うと、2000年から自営で建設関係の仕事と人材を育成する仕事には就いていましたので「相談」に乗る機会も多く「心理学」など必要で学んではいました。
しかし占いやカウンセリングなどはとくに興味は無かったですし、ましてや「レイキヒーラー」なんて聞いたこともありませんでした。
自分がなぜこの世界の入る事になったのか、それは自分自身の体験から来る所が大きいです。
母ひとり子ひとりの家庭に生まれ、母は10代の頃に家出をして県外からやって来たため親戚、親類などというものとは縁を切った人でした。
父は当時は別に家庭がり、僕はいわいる「不倫の子」だったのです。
ですので、父という存在は「たまに家にやってきて泊まっていく人」だったのです。
父の方の親戚、親類とも全く縁がなく「母」以外の肉親と言うのには縁のない生活をしてきました。
母は夜、飲み屋をやって僕を育ててくれましたが、物心ついた時から夜は一人で食事をして保育園にも1人で行き帰りするって生活が当たり前だと思っていました。
今でも忘れられないのが、5歳で飲み屋の二階に引っ越すまで母は午後4時頃に家を出て夜中にしか帰りません。
その間、今では考えられないですが一人で家にいました。食事とかはあまり覚えていませんが一人で食べていたので、温めなくても食べれるものが用意してあったのでしょう(当時は電子レンジは無かったので)
一人で家にいる時に怖くて、いつも家具と家具の隙間に入って前にテーブルを置いて隠れていました。
そんな母は僕が小学生の時に店の経営がうまくいかなくなり、ある日、僕は母に連れられて「夜逃げ」する事に・・・・
小学校の友達ともお別れの挨拶すらさせてもらえませんでした。
そこからは貧乏な生活を続けていましたね。裏はお墓、前はゴミの収集会社なんてボロボロの借家に長く住んでいました。
子供心に一番嫌だったのが、山の陰の家でテレビが1チャンネルしか映らなかった事です。
ネットなどのない時代ですから、TVが唯一の情報源で子供同士のコミュニケーションの中心でしたから・・・これは20代になってケーブルテレビが普及するまで続きましたね。
あと貧乏だったので高校受験は、滑り止めの私立高校を受験しなかったら学校の方から志望校には願書を出してもらえなかったってのもありましたね。
志望校には成績的には十分合格ラインでしたが、中学浪人を出したくない学校側は定員割れをするようなところにしか願書は出してもらえませんでした。
自分で働くようになり建設関係や営業職などをやって、ある小さな建設関係の会社で社長に「自分の後を継いでくれ」って言われるようになったのですが、
その社長が急死・・・専務が社長を務めるようになり会社を追い出されるかたちで独立。
それと同じ頃に、その頃はうちに住み始めていた父が脳梗塞で倒れここから長い入院生活がはじまります。
父はもともとの奥さんと離婚は成立していなく、追い出されるかたちでうちに住んでいたので戸籍上は他人ですから「手続き」関係がなにも出来ずに苦労させられました。
独立後は順調に何年か過ぎ、まともな家に住めるようになったのですが、母も脳梗塞で倒れ働けなくなり、
時を同じくして一番の大口の取引先が本社の方針転換で一切仕事がもらえなくなります。
そこから長い「お金」との戦いが始まります。
それまでにも父の入院費でかなりのお金を使わされていたのですが、ここでの収入の激減、
働けない母を養い父の入院費の払いで一気に資金繰りが立ちゆかなくなってしまったのです。
かなり怪しい所からの借り入れもしましたね^^;
その頃からです。なんとかこの状態から脱出したくて本やセミナー、自己啓発などいろいろと手を出し始めたのです。
「ナポレオン・ヒル」「マーフィーの法則」「引き寄せ位の法則」「幸せになる魔法の言葉」「斎藤一人」「小林正観」「アチーブメント」
・・・・・
いろいろな事を学び、いままで考えもしなかった事に気づいていったのですが、同時に状況は悪化する一方。
いまから振り返ってみれば、かなり異常行動もしていましたからひどい「鬱」でもあったのだと思います。
その後、家も家賃の安い所に引っ越し仕事も縮小して膨らんだ借金も整理でき、
少しの安定が訪れた矢先に母が倒れ入院に・・・そこからは亡くなるまで寝たきりの生活になります。
両親の入院費、減少した収入ではやっていけず頼る親戚とか兄弟もいないので「全財産」が数百円になる時もしばしばありました。
お金の辛さもでしたが、頼る親戚とかいないのは現実的なこともですがメンタル的にかなり苦しかったですね。
正月とかお盆とかみんなが「家族」や親戚と会うような時には、「もしかしてこの世界には僕1人しかいないのでは」って思えることもよくありました。
何度も生きていくことに絶望していました。
立て直しても立て直しても、次々に邪魔が入るそんな感覚でしたね。
まるで生きている事そのものが苦痛に感じる毎日でした。
そんな時に僕を支えてくれたのは、当時、飼っていた2匹の猫でした。
この子達は「僕がいなくなったら生きていけない」その思いが、生きている唯一の意味だったんです。
そして、次々に起こる問題や悩みに落ち込んでいる時にも、いつでも変わらない純粋で真っ直ぐな愛情に何度も救われてきました。
そんな子たちも、2019年と2021年に永眠してしまいましたが今でもこの子達との日々は忘れられないものになっています。
そして毎日の苦しい生活の中で「何か人生を変えれる物はないのか」って探し続け、カウンセラーや占い師のところにも行きました。
この一連の経験からいろいろな事を学びました。
同時にその「脱出するため」に学んだ多くのものがどこか「不完全」にも思えたんです。
本やDVD、セミナー、自己啓発、カウンセラー、占い師、そのつど「良い話」を聞け体験でき、
新しいものに出会うたびに毎回「今度こそ」と思うのですが大きく現状はよくならない。
何か超えられない「一歩」があるんです。
それを聞くと「がんばれ」「思え」「手放せ」「受け入れろ」と、真理としてはあっているんだと思うんです。
でも僕が欲しいのは「具体的な一歩」だったんです。
そして気がついたのです。こういう「先生方」はその「具体的な一歩」を自然にしていることを。
ナチュラルにできているか、誰かに与えられているって事です。
これに気づいたのが、僕がセラピストになろうとしたきっかけの一つなんです。
自然に出来てしまいう人は「何か」に触れて気がつけばあとは出来ます。
でも多くの人はそれが出来ません。だから「そこを埋める」為のセラピストで有りたいと。
そして、セラピストの多くがどこか「世間ヅレ」していることも気づきました。
それは多くは若い頃からその仕事をしているためで僕のように長く会社勤め、自営業、会社の社長を経験してのセラピストは少ないのです。
心理学やスピリチュアル、占い、レイキと言った「目に見えない」世界の事をしながら、
「会社経営」「投資」「新規事業」「裁判」などの現実的な事の相談も受ける事が出来るんです(法律的な事は専門家の知り合いに頼みます)
もう一つ、多くの人に相談してきて感じたのは「自分の苦しみをわかってもらえない」ことでした。
どこかで相談した相手よりも自分の方が不幸な人生を歩んできたと思えてしまうからです。
「ほんとうはこの苦しみをわかってくれないだろ」って・・・・
生まれた環境、両親、介護、お金等など兄弟や親戚の助けも借りれずいろいろな事を経験しました。
だからこそ、いま悩んでいる人の辛さに少しは共感して理解してあげれるのではないかと思います。
最後に、母も亡くなり二匹のネコたちも旅立っていきました。
ですが、結婚をすることができて「家族」が増えました。
今は「幸せ」と感じれる生活をしています。
以前みたいに何をしてもうまくいかないのでなく、多くは自分の望むままになっています。
やりたい事を仕事にし「楽しいこと」「自分が好きな相手」だけを選択できる人生があります。
いろいろと学んだ中でも大きな気付きは、僕自身の「自分らしさ」です。
「人には持って生まれた素質」があると言うことを、自分自身の学びや仕事の中で多くの人に会ってきたか事で気づきました。
数千人の人を観察することで僕独自の「人の素質」を分析する「パーソナル心理学」を作ったことで、自分と他人を理解することができるようになりました。
これにより人間関係の悩み、そして「自分らしさ」というものを理解するために大いに役に立ったのです。
自分らしい生き方、本質的な生き方、自分のペースで自分らしいゴールを持っての生き方。
それは世の中の「成功者」とか、自己啓発などの「先生」たちとは大きく違うものだと思います。
そんな人から見たら、ぜんぜんできてない人間だと思いますが、僕にはそれが一番「自分らしい」自分だったんです。
それに気がつけたことが自分を一番大きく変え、人生を大きく変えました。
もし、そんな人生でなくて悩んでいるならまずはブログを読んでみてください。これだけでもかなりのヒントにはなります。
そして必要ならセッションを申し込んでください。対面、電話どちらでも可能です。
最後まで読んでくれてありとうございます。
占い&カウンセリング ゲッターラボ 藤原つとむ