人間関係の悩みを解決、自分自身を知ることのお手伝いをしている占い師でカウンセラーの藤原です。
生年月日からその人の持って生まれた素質を分析する「パーソナル心理学」を使って話題の人や気になる人を解説するこのシリーズですが、今回は玉木雄一郎さんです。
この人のことも「誰?」って人はいないとは思いますが・・・
国民民主党代表の国会議員で、総理大臣に指名選挙でもしかしたら総理になるかもってところから、今や「蚊帳の外」状態になっている人です。
ある意味、総理大臣になるかもしれないというより、今はその優柔不断な行動や他責な発言などで一時はかなり人気だったのに国民民主党の支持層からまでも苦言を言われている状態です。
この「優柔不断」だったり、「メトロノーム玉木」なんて揶揄されるどっちつかずの行動とか最近では「玉木る」なんて造語もネットには出来ているようです。
「玉木る」の意味は「いいとこまで行くけど、最後に丸見えの地雷を周りから注意されても踏むこと」らしいです。
では、この玉木雄一郎さんのパーソナル心理学でみた「持って生まれた素質」を分析して、今回の行動などを解説していきたいと思います。
毎回、書きますが僕は玉木雄一郎さんとは知り合いでもないですし関係者も共通の知り合いもいませんので、あくまでも「持って生まれた素質」での確率の高い事をお話していますので「真実」かどうかはわかりません。
本質が同じ
何度も僕のブログでお話していますので知っている方も多いかもしれませんが、パーソナル心理学では「本質」と言う素質と「もう一人の自分」と言う2つの素質を組み合わせて主にみています。
実は、この玉木さんは初の女性総理大臣になる可能性の高い高市早苗さんと「本質」の素質は同じなんです。高市早苗さんのパーソナル心理学でも分析はこちらです。
https://getterlabo.com/2025/10/13/post-1708/
「同じ素質」と聞いて、多くの人は「え~そんなこと無いでしょ」と言われると思います。
そして、「所詮は生年月日から人の行動とか言動とか考え方なんかわかるわけないでしょ」って思われる方も多いかもしれません。
この「本質」の部分って、世の中にある「生年月日」を使った占いとか性格診断のようなものはほとんどが同じ物を言っていたりするんですよ。違うのは「解釈」の部分だけです。
この2人が同じわけないから、やったぱり当たってないよねってなったりするんですが、そこには本質の素質が同じでも見た目がぜんぜん違う理由が2つあるんですね。
ここの部分まで解説できるのが、実はパーソナル心理学が他のものと違って多くの人から、「他と違った」「今までしっくりきたものがなかったのに初めて納得した」「他で言われたことは現実に起こっていることと有ってない。でも、まるで昔らの知り合いみたいに言い当てられたって言われる由縁なんです。
理由は同じでも結果が違う
持って生まれた素質というのは、「材料」のようなものです。
調理の仕方で変わってしまうんです。
同じ牛肉を使っても調理の仕方や調理をする人の技量で、できた料理は味も見た目もかわります。
でも、それは最初の牛肉であって途中で豚肉になるわけではありません。
その材料の何処が強くでているのか、何処はあまり出ていないのか、どういう出方をしたのかで結果は変わります。
でも、その結果は「材料」が分ければ何故そうなっているかがわかるわけです。
この調理や技量の部分が「育った環境」「生きてきた環境」に当たるわけです。
もう一人の自分が違う
実は今回に関しては、こちらが強いんだと思います。
途中にも書きましたが、パーソナル心理学では「本質」と「もう一人の自分」の2つの素質の組み合わせで分析したり読んだりしているんです。
なので、「本質」が同じでも「もう一人の自分」が違えば全然、違って見える場合もあるんです。
さらに、この2つの素質が「どちらが強く出ているか」って言うのも大きく左右されるんですね。この「どちら」が決まるのは多くの場合は「親の影響」ですので、これもある意味では「環境」だとも言えます。
今回の玉木さんと高市さんの違いは、1つは「もう一人の自分」が全然違う素質のタイプだってことと、高市さんはどちらかと言うと「本質」が強く出ていて、玉木さんはどちらかと言うと「もう一人の自分」の方が強く出ているんです。
それと「出し方」も、高市さんは2つの素質の「良いところ」を出している感じで、玉木さんは「悪いところを組み合わせた」って感じなんですね。
何故、優柔不断だったのか?
本来、本質が強く出ていれば「オンリーワン」なタイプで「自分軸」も非常に強く、周りに左右されずに決めたことは最後までやり通すタイプなんです。
それは良いところもでもありますが「融通が利かない」にもなるところです。
ところが、玉木さんの場合は「も一人の自分」の素質がいまお話したのとは真反対なんです。
高市さんも本質ともう一人の自分が「反対」の部分が多いって以前のブログには書きましたが、玉木さんの方がぜんぜん反対の部分が多くしかも方向性がかなり違います。
玉木さんのこの「も一人の自分」の素質の特徴は「良い人にみられたい」「できる人にみられたい」「自分だけが得したい」「自分に責任が来ることは嫌い」「責任は取らずに得したい」ってタイプなんです。
しかも、言動がコロコロ変わります。
本質はフィックスが強いんですが、こちらは非常に「フレックス」が強いので感情思考で状況対応型ですから、感情やイメージで答えが変わってしますんです。
ただ、このタイプはそれに理屈をつけるのはとっても上手いんで、「論理的」に見えたりもします。
美味しいところを
今回の玉木さんの行動と当てはめてみましょう。
まず、高市さんが自民党の総裁に決まった時に、最初に会いに行ったのは玉木さんだと言われています。
本来は連立を組んでいた「公明党」に行くはずで、過去の新総裁はそうしていました。
でも、それをせずに玉木さんに会いに行ったわけです。
ここで、玉木さんは自民、公明の連立に乗っかれば自分は与党に入れてしかも過半数を超えるための手助けをしたってことで「得」が得られるはずだったと思うんですね。
ところが、公明と自民が連立解消をしてしまいました。
こうなったら、自分たちが自民と組んでも過半数どころか、もしかしたら野党になってしまうかも・・・と日和ったところに立憲に「指名選挙では玉木と投票しても良い」と言われ「あれ、総理大臣になれる?」と「どっちが得か」を考え始めます。
じゃあ、そこで野党連合に乗っかって政権交代からの「玉木新総理」の誕生となると、今度は「自分に責任が来ることは嫌い」が出てきます。
この素質の人は「責任は取らずに得したい」ので総理大臣なんて、一番責任のところには行かないんです。
でも、自民とっていうのも「得」するかわからないし・・・どっちつかずではっきりさせないままでいました。
この素質の特徴で、自分に責任が来ないように「はっきりと言い切る」をしません。
そして、いかにも「できる人」「良い人」に見せてきます。
ちなみに、高市さんの「もう一人の自分」の素質は「良い人」で、玉木さんの「もう一人の自分」の素質は「良い人に見られたい」なんです。
良い人と良い人に見られたい人の違い
良い人は誰に見られなくても「人のため」としますが、「良い人に見られたい人」はその評価を受けるところでしか「良い人」をしません。
「良い人」と「良い人に見られたい人」では多くの世間からは後者の方が「良い人」に見られる事が多いんです。その理由は「良い人に見られたい人」はそう見られるようにアピールしますし、そう見えるようにうまく振る舞います。
こう書くと「悪いイメージ」にもなりますが、これは言い換えれば「察する」「空気を読む」が得意だってことにもなるんです。
その点では高市さんはそれらが苦手なんです。
本来なら、玉木さんの「もう一人の自分」の素質はこの「良い人に見られたい」がとても上手いので、殆どの場合は簡単には見破れないんですよ。
ところが今回はいろいろと失敗をしています。
玉木さんの心の動き
恐らくですが、国民が喜ぶ政策を提案した「良い人」「できる人」でいようとしたのですが、公明党の離脱で自民が与党でなくなる可能性がでてきたら得が無くなる可能性が出てきました。
玉木さん的には「国民が喜ぶこと」を言い出すのは自分ですが、それを実行するのは「自分に責任が来ることは嫌い」なので自民にやらせたかったのでしょうね。
現に、昨年末に自民、公明、国民の三党合意で暫定税率を廃止する話も玉木さんは「自民がやらなかった」と言っていますが、やろうと思えば方法はあったわけですよ。
話を戻すと、公明が離脱して自民党とくっついても何も得れない可能性が出てきたので、態度をはっきりさせずにいたところに、立憲から「玉木でも」と言われ「総理大臣」になれる可能性が出てきたわけです。
ここで、「それなら政権交代で総理になってやる!」ってなればもしかしたら、「玉木総理」だったのかもしれませんが、「総理大臣」は魅力ですが「自分に責任が来ることは嫌い」があるのでこれも躊躇します。
結果、「メトロノーム玉木」と揶揄されるようにどっち付かずな態度を取り続けます。
すると、維新に出し抜かれて自民との連立の方向になってしまいました。
これで、今更、自民についても存在感は薄いですし、立憲とでの総理大臣の道もほぼ不可能です。
さっきまで主役のような扱いだったのが、とつぜん蚊帳の外です。
それまで、まるでキャスティングボードを握って他を翻弄しているようにみえたのは、本当は「得したい」けど「自分に責任が来ることは嫌い」で揺れていただけなんですね。
「自分に責任が来ないようにして得を取る」をしようとする結果が「玉木る」って言葉の、「いいとこまで行くけど、最後に丸見えの地雷を周りから注意されても踏むこと」になるんだと思います。
挙げ句に公明と連携強化って国民民主の支持層からも嫌われるようなことを言い出したのでは、もしかしたら自民との連立も政権交代での総理大臣もだめで「得」がなくなったので、せめて公明党の創◯学会票で自分が選挙で勝てる「得」だけでも取りにいったんですかね~
まとめ
この素質って良い方に出せば、人の感情を動かしたり数字だけではない部分を汲み取れたりできる素質で、本質の素質が「自分」を貫ける代わりに人の感情とかを汲み取るのが苦手なのをうまく補えるのですけどね~
「真逆」の素質の組み合わせって、矛盾にもなりますが「両方できる」って強みにもなるんですよ。
今回の玉木さんの行動は「両方できる」ではあったんですが、両方の素質の悪いところを合わせちゃった感じになってしまっていました。
日本の政治家なんて「お飾り」なところは多いですが、それでも高市さんか玉木さんかって言われて「素質」だけの観点からだと高市さんの方が100億パーセントいいですね~
それではこれで終わります。
コメント