人間関係の悩みを解決、自分自身を知ることのお手伝いをしているカウンセラーの藤原です。
自分勝手な要求とかお願いとかする人っていますよね。
「そんなこと頼む?」みたいな人です。
これって、パーソナル心理学での「素質」がやらせているパターンとその人の心の問題な場合の2種類があるんです。
もちろんただの自己中って場合もありますが、そんな人とは縁を持つ必要はないのですが~とくに「素質」でやっている人の場合は「素質の違い」で起こってるだけなんで喧嘩したり仲が悪くなるのはもったいないです。
そしてこのお話は「それをされて嫌な思いをしている人」もですが、知らず知らずのうちにやっちゃってる人にも気づいて欲しいのです。
さて、まずは「素質」の場合です。
これは、自分軸が非常に強い場合に起こります。
フレックスの人でもいますが、フィックスが強いほうがこの傾向は強くなります。
フレックスの人は自分軸が強くても空気を読むのが上手いので、「これは言うと嫌われる?」ってのを察してそう思っても言わない場合が多いですからね。
自分軸の強い人の特徴は、いい意味で言えば「自分」を強く持っていて何事も自分を中心に考えます。
でもこれは言い換えると、他人を見ていなかったり協調性が低いとも言えるんです。
特に自分軸の強い人は「他人がどうか」を考えれないわけではないのですが、そこを判断基準にするって感覚がとても低かったりします。
ある時、非常に自分軸の強い素質の組み合わせの若い女性がセッションに来られました。
この方は、来たと同時に「トイレ貸して下さい」とトイレに飛び込まれたんですね。
そして、相談内容は「人に疎まれたり仲間はずれにされたり嫌われる事が多い」ってことだったんですよ。
そこで「自分軸の強い」って事が多くのその他の素質の人たちとのギャップが生まれるかを説明したんですね。
ところが、僕の言う「違い」はわかったんだけどそれが「嫌われる」って理由になることがどうしても理解できないようなんです。
そこでこんな話をしました。
僕「◯◯さんは、今日ここに来られた時にいきなりトイレに行かれましたよね。あれって多くの若い女性って嫌がると思うんですよ」
相談者「私、トイレが近いんですよ。家で済ませてきたんですがここに来るのに1時間近くかかったので」
僕「そうですか。でも、◯◯さんは近くの商業施設の駐車場まで来られた時に場所の確認の電話をされましたよね。あの時ってまだ予約の時間には少し余裕が有りましたからそちらで済ませるってのはしなかったんですか?」
ちなみに、僕と同じ田舎以外の人も読まれているでしょうから、ちょっと解説しておくと超車社会のここの地域ではすべてのお店などには無料の大きな駐車場があり、そこに車を停めてトイレを使ったり停めたまま近所の別の所に行ったりすることは日常茶飯事でほとんどのお店、特に大きな商業施設では満車にならない限り黙認しています。
相談者「トイレを使ったらダメってことですか?」
僕「いや、僕は『良い、悪い』の話はしていませんよ。『多くは嫌がる』って言ったんですよ。多くの若い女性のお客さんはやはり始めてのとことでトイレにはなるべく行きたくないって思っておられますから、何時間ものお話しになって長くなってしまったのなら仕方がないのですが、いきなりってのはね~」
相談者「私は別に嫌とか思わないですから、それの何がいけないのですか?」
僕「あなたがどう思うかではなくて『多くの人が嫌』って事を、『私は嫌じゃない』って気にせずに行動することが嫌われたり仲間はずれにされる理由だと思いませんか?『自分がどうか』じゃなくて『みんながどうか』って考えがないですよね」
相談者「え?私は『みんながどうか』なんて行動する時に考えたことないです・・・」
これ、自分軸の強い人が「みんながどうか」「相手がどうか」で考えれないわけではないんですよ(苦手ではありますが)
それを判断基準にするって意識がすごく低いんですよ。
だから、このタイプが無理な要求をしてくるのは「自分がその要求をしたい」がほぼ全てで「相手がそれをされたらどう思うか」は、ほとんど関係ないのです。
そして、素質のお話全般に言えることなですが、自分の行動は自分の素質からくる行動ですが、その行動は「相手もする」って無意識に思っています。
この自分軸が非常に強いタイプの素質の人は、逆に自分が頼まれた時にも「自分がどうか」が判断基準のほぼ全てで「相手がどうか」っていうのはほぼ考えません。
なので、どんな「頼み」も平気で断れるんです。
例え、命の恩人が「ちょっとそこの荷物を持つのを手伝って」って言う簡単な頼みも、「いま自分がやりたいことがある」って自分の方を基準にして簡単に断ります。
「相手に合わせる」がとっても苦手なんですね。
だからって、命の恩人ならその恩は忘れていませんから、ちゃんと恩返しはするんです。それはむしろ他の素質よりも律儀にします。ただ、それも自分の基準で自分のペースでするんです。
自分軸が強いタイプはこんな具合に「頼み」を断るのをあまり苦にしませんから、自分が頼み事をする時も「嫌なら相手が断ればいい」っていうのが前提に強くあるので余計に無茶な要求でもできてしまうんですね。
ところが、そうでない素質の人たちの多くはその要求や頼みの内容によっては断りにくかったり、断るのにかなり精神的な負担がかかったりします。それで場合によったら悩んでしまったりもします。
だから、無茶な要求をするほうが「悪い」と感じてしまうんですね。
自分軸の強い人からの要求は断っても、それ以外の素質の人が思うほど自分軸が強い人は気にしません。
逆に自分軸が強い人は、それ以外の人の素質の人は「断る」ってことに意外な程に精神的な負担がかかるってことを知っているとよいと思います。
単なる、素質の違いによる「価値基準」の差ですから、こんな事で仲を悪くするのはもったいないんですよ。
次に「心の問題」です。
これは素質はあまり関係しません。
僕の嫁さんがイラストレーターをしていますが、たまに知り合った人とかに「ちょっとここに描いてよ。簡単でいいから」って頼まれたりします。
有名な話でピカソがファンの女性に頼まれて描いた絵の値段を「100万ドル」と言ったら、その女性が「たったの30秒で描いた絵を100万ドルなんて」と言った事に対して、ピカソは「私は、30年もの研鑽を積んできました。この絵を描くのにかかった時間は30年と30秒なのです」と答えたんですね。
この女性はその物の価値を目に見える部分でしか考えれなかったんです。
無茶な要求をする人ってその目に見えない価値を見えてない人達なんですね。
これは、何もイラストのように専門的な経験だけではないんです。
一番は「相手の時間」って物に価値を考えていませんし敬意も払っていません。
これね。
「人は自分にしていることを他人にする」って法則から考えると、その人って自分に対しての「価値」がとっても低いんですよ。
そして、目に見えるものしか価値が見いだせてないんですよ。
だからって、「物」に対してもそこにある「付加価値」をみれないから、本質的な価値が見えなかったり「ブランド」とか「人気」って「偽れるもの」を価値と勘違いする。
僕たちは物質世界に生きているい以上は「物」は重要ですが、そのこには「物以上」の「意味」や「価値」ってものがあってそれはその人の心でしかわからないのです。
幸せになるうえで本当に必要なものってそんな状態では決して気づけないんです。
そういう人でも仕事はしているんでしょうから、それが例え「会社勤め」とか「パート」であってもそこには経験値や自分の時間ってものに「価値」としての「賃金」が払われているはずです。
だのに、相手のやっていることへの「価値」がわからないのは、そんな自分に価値を見いだせてないからでしかありません。
僕の仕事でセッションを受けてくれたお客さんから、ちょっとした質問や相談をLINEとかで受ける時があります。簡単なことなら特にお金を取ったりしませんが、「どこまでが無料か」とか「どこからが有料か」とか明確な境界線を儲けていないんです。
それは、セッションの流れでの質問や相談なのかとか、セッションからの日数とか回数とかもちろん相談の内容とか、その人との距離感とか一概に「ここまで」って言えないからでもありますが~
さっき書いた事をできている人は、そんな無茶なことを無料で質問してきたり相談してきたりしないからでもあるんです。多くのそういう人たちは、僕が「いいよ。このくらいならお金は払わなくても」と言っても逆に「払わせてください」と言ってきますし、知らないうちにお金を振り込んでくれてたりもします。
逆にたまにいるんですよね。
セッションも1回ぐらいしか受けたことがなくて、それから1年とか間が空いているのに結構な内容をLINEとかで相談してくる人。
当たり前のように相談してくるから「有料のつもだよね?」って半信半疑で念のために「有料」だってことを伝えると急に連絡が来なくなるんです。
そういう人って何をしても上手くいかないんだと思います。
「お金じゃない」とかって言う人もいるかもしれませんが、確かに「お金」では幸せにはなりませんがその幸せになるために必要な「価値」を計るのに「お金」ってとっても便利ではあるんです。
無料で頼むってことは、価値は「ゼロ」だと思ってるんですからそんな価値がゼロなものを手に入れても仕方がないと思うんですがね。
とくに「相談」とかなんてものは余計にそうだと思います。
「買う物」の金額とかブランではなくて「お金の出し方」がその人の人としてのレベルや幸福度を示しているのは今お話したことが理由のひとつなんです。
「素質」と「心の問題」と両方の面からお話をしましたが、みなさんは要求される側?する側?どっちでしょう。
それではこれで終わります。